プレイフルマガジン
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2022.01.19
2022.03.07
COMME des GARCONS(コムデギャルソン)出身のデザイナーって?
こんにちは!DCブランド古着買取専門店のプレイフルです。
本日はCOMME des GARCONS(コムデギャルソン)出身のデザイナーを10名に絞ってお話したいと思います。
NOZOMI ISHIGURO(ノゾミイシグロ)/石黒 望
桑沢デザイン研究所でドレスデザインを学び卒業した後、コムデギャルソンに入社。
トリコ コムデギャルソン・ジュンヤワタナベでアシスタントデザイナーとして携わり、1998年に独立。
引用元:FASHION PRESS
kolor(カラー)/阿部 潤一
文化服装学院アパレルデザイン科卒業後、コムデギャルソンを含めいくつかのブランドでデザイナーとして経験を積む。
学生時代に同級生だった4人でPPCMをスタート。
解散後2004年からPPCMのパタンナーと2人でkolorをスタート。
引用元:GQ JAPAN
写真引用元:FASHION PRESS
sacai(サカイ)/阿部 千登勢
1989年にコムデギャルソンへ入社し、パタンナー・ニットウェアの企画を担当する。
その後、ジュンヤワタナベの立ち上げに参加。
1999年に5型のコレクションでsacaiをスタート。
引用元:sacai info
THEATRE PRODUCTS(シアタープロダクツ)/武内 昭
1998年エスモード東京校総合科を卒業後、コムデギャルソンのパタンナーとして経験を積む。
2001年にTHEATER PRODUCTSをスタート。
引用元:ESMOD JAPON
写真引用元:THEATRE PRODUCTS INC.
matohu(まとふ)/堀畑 裕之
大学で哲学を学んだ後、文化服装学院アパレルデザイン科へ進学。
1998年にコムデギャルソンへ入社し、パタンナーとしてレディースのパリコレクションラインを担当。
退社後はロンドンへ移住しアトリエで働く。
東京で2005年matohuを設立。
引用元:Wikipedia
写真引用元:matohu
beatiful people(ビューティフルピープル)/熊切 秀典
1998年文化服装学院アパレル技術科卒業。
2004年からコムデギャルソンでパタンナーとして経験を積み、外注パターン会社を設立。2006年にbeautiful peopleを立ち上げる。
引用元:beautiful people
White Mountaineering(ホワイトマウンテニアリング)/相澤 陽介
1999年多摩美術大学染織デザイン科を卒業後コムデギャルソンへ入社し、ジュンヤワタナベの企画生産を担当。
2006年White Mountaineeringをスタート。
引用元:Wikipedia
写真引用元:FASHIONSNAP.COM
TOGA(トーガ)/古田 泰子
エスモードジャポン/エスモードパリでファッションデザイン・パターンを学ぶ。
パリでコムデギャルソンのコレクションを見て衝撃を受け、帰国後コムデギャルソンのアルバイトとしてパタンナーを務める。
1997年TOGAを立ち上げる。
写真引用元:FASHION PRESS
Name./WELLDER(ネーム/ウェルダー)/清水 則之
文化服装学院卒業後、ジュンヤワタナベなどいくつかの企業でパタンナーを経験。
2010年にName.を設立。
2018年に退任後2019年からWELLDERをスタート。
写真引用元:FASHION PRESS
FUMITO GANRYU(フミトガンリュウ)/丸龍 文人
文化ファッション大学院大学卒業後、コムデギャルソンへ入社。
渡辺淳弥の下でジュンヤワタナベ・コムデギャルソンのパタンナーを担当。
2008年にコムデギャルソン社からGANRYU(ガンリュウ)をスタート。社内最年少デザイナーとなった。
2017年でガンリュウは終了、2018年にFUMITO GANRYUを立ち上げる。
引用元:FASHION PRESS
最後に
今回はCOMME des GARCONS出身のデザイナーについてお話しました。
もし、お持ちのお洋服が査定対象かな?など分からないことがあればお気軽にお問い合わせくださいね。
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はじめての方はコチラからどうぞ。
▶︎COMME des GARCONS(コムデギャルソン)のラインについて①
▶︎COMME des GARCONS(コムデギャルソン)のラインについて②
▶︎COMME des GARCONS(コムデギャルソン)の歴史